可児才蔵

かに さいぞう

尾張福島家臣。

名は吉長。

才蔵は合戦で笹の指物を背負って戦う。

これは敵を討って首を多く取っても、持ち切れずに放置するが、自分が討った証に笹の葉を首の口にくわえさせ目印にする為だという。

実際に笹をくわえた首が多く転がっていたがことから、「笹の才蔵」と一躍有名になった。

宝蔵院胤栄に槍を学んだ達人とも伝わる。


もとは美濃出身で、織田家に仕えていたという。

美濃を領していた織田信孝が没し滅びると、次いで豊臣秀次に仕えた。

山崎の戦い

可児才蔵は後陣、織田信孝勢



小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀次勢は敗走する。

このとき徒歩だった豊臣秀次は馬に乗った才蔵を見つけ、馬をよこすように言った。

しかし才蔵は、馬は自分にとって必要な「雨の日の傘に候」と応え、主君を見捨ててそのまま逃走する。

これに激怒した秀次は才蔵を追放し、再び牢人となった。


その後、才蔵は福島正則に仕えた。

小田原征伐に従軍し、伊豆韮山城攻めで先陣を切る。

敵城主の北条氏規も、その武勇に感嘆し「あの者の名は何と申すか」と尋ねたという。


関ヶ原の戦いでは福島勢として奮戦した。

才蔵は敵の首20を挙げ、その数は関ヶ原の戦いで東西あわせ一番の数であった。

徳川家康も才蔵を賞賛している。

関ヶ原の戦い

可児才蔵は東軍の先陣、福島正則勢



才蔵は日ごろから愛宕権現を信仰していた。

「我は愛宕権現の縁日に死なん」と予告してたという。

その予告通り、慶長18年(1613)6月24日の愛宕権現の縁日に逝去したと伝わる。

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