古田織部

ふるた おりべ

美濃織田家臣。

名は重然。

織部は官命。


美濃出身で織田家に仕え、各地で転戦した。

信長死後は引き続き豊臣家に仕え、山城・大和の境で8千石を領する。

関ヶ原では東軍に与し、本戦でも戦っている。


織部が茶人として高名になったのは後年で、千利休に師事し利休七哲のひとりであった。

千利休が切腹した後は、織部が天下一の茶人とされる。


武士ならではの織部が制定した、武家大名としての茶の湯の作法は「織部流」ともてはやされ、徳川秀忠ほか数々の大名・武将たちに指南している。

また利休は数ある茶器の中から優れたものを選び使用したが、織部は自ら気に入った茶器を陶工に造らせた。

織部の独特で斬新な美意識で造られた道具は「織部好み」と呼ばれる。


大坂の陣では徳川方として参陣していたが、戦後に豊臣方へ内通していた嫌疑がかけられる。

織部はこれに対し釈明しなかったので、切腹を命じられることになった。


かつて千利休が豊臣秀吉によって切腹させられたのと同様に、織部も徳川家康によって切腹させられる。

これも天下の茶道の宿命と受け入れたのかもしれない。

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