磯野員昌
いその かずまさ
近江浅井家臣。
佐和山城を居城とし、浅井家中随一の猛将として活躍した。
姉川の戦いでは先陣を勤め、織田陣十三段のうち十一段まで突き破ったという「姉川十一段崩し」の逸話が残る。
なお藤堂高虎はこの戦いが初陣で、磯野員昌勢に属して戦っていたと伝わる。
姉川の戦い
磯野員昌は浅井軍の先陣
員昌はその後、織田家に城を包囲され浅井家の滅亡前に降伏している。
佐和山城を明け渡し、近江高島へ移転した。
藤堂高虎も浅井家の滅亡後に、一時期は員昌に仕えていたという。
員昌はのちに織田信長の甥・津田信澄を養子とし、家督を譲る。
その後に員昌は織田家を出奔していることから、織田家が磯野家の家督を簒奪したものとも考えられる。
本能寺の変がおこって信長が横死すると、員昌は高島に戻ったが帰農したという。
子孫は石田三成や藤堂高虎に仕えている。
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