織田信忠
おだ のぶただ
尾張織田家一門。
信長の嫡男。
初陣は近江浅井との小谷城の戦い頃とされる。
以降も信長に従って、石山合戦、伊勢長島一向一揆、長篠の戦いなどに参陣した。
その後信長から家督を継ぎ、岐阜城主となって美濃・尾張を領した。
紀州征伐や信貴山城の戦いでは総大将を務めている。
甲州征伐で全軍を率い、天目山の戦いで武田家を滅亡させる。
信長は、武田は強敵ゆえに慎重を期すようにと、補佐役の川尻秀隆にも託していた。
しかし信忠は戦況を好機ととらえ、怒涛の追撃でまたたく間に武田を滅ぼしてしまった。
これには流石の信長も信忠の武功を認め、「天下の儀を継ぐのも相応しい」と称賛したと云う。
本能寺の変の際、信忠は父と同じ京におり妙覚寺に宿泊していた。
変を知ったころにはすでに本能寺は包囲され、信忠はやむなく二条新御所に立て籠もる。
家臣たちは逃げだすように進言したが、信忠は「これほどの謀反の企てなら、もはや洛中に逃げ場はない」と嫡男の三法師を前田玄以に預けると、やがて自害して果てた。
しかしながら前述の前田玄以や、信忠と同じく妙覚寺にいた織田有楽斎、水野勝成親子などは無事京を脱出している。
信忠は能を好み、能舞の才も見事であったとされる。
信長も敦盛(人間五十年・・・)をよく舞ったというが、信忠の能狂いは異常だったという。
それを聞いた信長は、信忠の能道具をすべて取り上げ謹慎させたという逸話がある。
信忠には正室がいない。
もとは織田家と武田家が同盟を結ぶ際、信忠と武田信玄の娘・松姫が婚約する。
このときは信忠は11歳、松姫は7歳だったので、まだ会うことはなく手紙のやり取りだけだったという。
しかしのちに武田信玄は西上を開始し、三河の徳川領へ侵攻する。
徳川家と同盟にある織田家は、必然的に武田家とは手切れとなり同盟は破棄、信忠と松姫の婚約は解消となった。
しかしその後も二人はずっとお互いを想い続け、信忠は正室を持たず、松姫も未婚のままであった。
武田家の滅亡後、信忠は北条領へと逃げ落ちた松姫の噂を聞く。
長年の想いを果たすべく、信忠は松姫を迎えようと京へ呼び寄せた。
松姫は喜び、京へ向かう。
しかしその旅の道中、本能寺の変は起こった。
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