梅津憲忠

うめづ のりただ

常陸佐竹家臣。

梅津家はもとは宇都宮家の家臣だったが、父の代に佐竹家に移った。

憲忠は佐竹一門の佐竹義憲に小姓として仕える。

「憲」の字も佐竹義憲から賜っている。


佐竹義憲は30歳という若さで没した。

次いで憲忠は佐竹義宣に茶坊主として仕える。

やがて義宣の近習として頭角を現した。

佐竹家が関ヶ原合戦後に出羽へ減封されると、憲忠は抜擢され新天地での内政に大いに貢献する。


大坂冬の陣では義宣に従って参陣する。

佐竹勢は今福砦の攻略で、木村重成勢や後藤又兵衛勢と激突した。

この戦いは冬の陣で一番の激戦となっている。

憲忠は黄色の陣羽織を着て奮戦したことから「佐竹の黄鬼」との異名をとった。

大坂冬の陣

今福の戦い後に大坂城を包囲

梅津憲忠は城東側、佐竹義宣勢



その後、長年の功績により憲忠は家老となる。

義宣を支えて藩政に尽くした。


憲忠は連歌や茶道などにも教養があった。

佐竹義宣が鷹狩りの帰りには、いつも憲忠の屋敷に立ち寄って歌や茶の湯に興じたとされる。

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