小幡景憲

おばた かげのり

遠江徳川家臣。

小幡家は甲斐武田家の重臣であったが、景憲が元服するころには武田家は滅亡している。

景憲は他の武田旧臣らと同じく徳川家に仕えたが、やがて出奔して諸国を流浪する。


経緯は不明ながら、関ヶ原の戦いには東軍の井伊直政勢に属して戦っていたとされる。

また大坂の陣でも最初は豊臣方として城に入ってているが、徳川方に内応していた。

徳川方として大坂城の攻囲にも加わっている。

関ヶ原の戦い

小幡景憲は二陣中央、井伊直政勢


大坂冬の陣

小幡景憲は真田丸の前面、前田利常勢


大坂夏の陣

小幡景憲は岡山方面、徳川秀忠本陣



戦後に再び徳川家に帰参し、1千5百石の幕臣となる。


その後、景憲は「甲陽軍鑑」をもとに甲州流軍学を創始した。

江戸時代には軍学者として名を馳せ、多くの門弟を抱えていたという。

また剣豪・小野忠明にも師事しており皆伝の腕前とだったされる。



※「甲陽軍鑑」は甲斐武田家に伝わるとされる軍学書。

高坂昌信が武田勝頼に進言した献策が元になったとされ、これが小幡家に伝承されたと云う。

江戸時代になって景憲が世に広め、多くの人が目にすることになった。

武田信玄の有名な「人は城 人は石垣…」の文言も、この甲陽軍鑑に記されている。

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