小幡景憲

おばた かげのり

小幡家は甲斐武田家の家臣であったが、武田家は滅亡し、景憲は徳川家に仕えた。

しかしその後出奔して諸国を流浪する。

関ヶ原の戦いには東軍に属して参陣しており、大坂の陣では最初豊臣方であったが、徳川方に内応している。

武田家に伝わる軍学書「甲陽軍鑑」をもとに甲州流軍学を創始し、江戸時代には軍学者として多くの門弟を抱えた。

剣豪・小野忠明にも師事しており皆伝の腕前とされる。


甲陽軍鑑は甲斐武田家に伝わるとされる軍学書。

高坂昌信が武田勝頼に進言した献策が元になったとされ、これが小幡家に伝承されたと云う。

江戸時代になって景憲が世に広め、多くの人が目にすることになった。

武田信玄の有名な「人は城 人は石垣…」の文言も、この甲陽軍鑑に記されている。

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