山本勘助

やまもと かんすけ

甲斐武田家臣。

実在が不明瞭ではあるが、牢人の身から武田家に仕官し、数々の献策で功を成したとされる。

「甲陽軍鑑」では武田信玄に軍師として仕え、軍法と築城の達人として活躍したという逸話が残る。


1561年の川中島の戦いでは啄木鳥戦法を進言する。

妻女山の上杉本陣を別働隊が攻撃し、退いた敵を本隊が待ち伏せして殲滅するという作戦であった。

しかしこの策は上杉謙信に見破られ、妻女山はすでにもぬけの殻であった。

上杉勢と武田勢は八幡原で正面激突となり、この激戦で勘助は討ち死にした。

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